水口施設長コラム No.9 アドバンスケアプランニング


アドバンスケアプランニング(ACP)

 超高齢化・多死社会を迎え、人生の終末期をどのように過ごすか、ということが社会問題となってきた。欧米に比べて宗教心が薄い我が国では、死について話し合う機会は少ない。 さらに、医学・医療の発達によって平均寿命が延び、「人生100年時代」を迎えつつある今日、死に対する意識が希薄になってきている。

 死は突然訪れる。自分らしい最期を迎えるために、 、食べられなくなっても胃瘻は希望しない、人工蘇生を希望しない(DNAR)、人工呼吸などの延命治療は希望しないという「リビングウィル」や「事前指示書」を用意している人もいるが、未だ少数派である。「事前指示書」には最終的な結論だけが示されているが、その結論に至ったプロセスをも含む「アドバンスケア(ACP)」という概念が欧米で普及している。ACPとは、「将来の医療・ケアについて、本人を人として尊重した意思決定の実現を支援するプロセスである」と定義されている(2019年、日本老年医学会)。
 ACPの目標は、本人の意向を把握し、最期まで尊厳をもって人生をまっとうできるように支援することにある。本人、キーパーソン(家族、友人など)に加えて、医師、看護師、そして介護士など多職種から構成される会議で、本人の価値観、人生観・死生観などについて全員が納得するまで話し合い、合意形成を図ることが求められる。このような観点から、ACPは「人生会議」とも言える。 本人の体調、環境の変化に合わせて、このような会議を繰り返し実施することによって信頼関係が深まり、合意形成が容易になる。
 世界人権宣言(1948年)では、「すべての人間は、生まれながらにして自由で有り、かつ、尊厳と権利について平等である」と規定し、「人間の尊厳」を基本原則の一つとしている。認知機能が低下している施設入居者に対しても、できる限り本人の意向をくみ取る方策の検討が課題である。   
 配偶者・子供、友人などの自分の気持ち・考えを伝えておくことが必要であるということに賛同する人は多いが、実際にそのようにしている人は少ない(厚生労働省人生の最終段階における意識調査2014年)。日曜の朝、礼拝に参列する欧米社会では、子供の頃から死について考える機会があるが、我が国ではそのような機会に乏しく、ACPに対するハードルは高い。死とは何か、どのような最期を迎えたいかを考えることは、よりよい人生を生きるということに繋がる。死を意識することによって、日常の散歩、周りの草花も一層きれいに見え、いとおしくなるものである。
 ACPの実践に当たって、死とは何か、死後の世界は存在するだろうか?など死にまつわる問題について考えて見よう。伝統的な宗教では、身体の死後も魂は消えないという二元論的な見方(矢作直樹(東大教授)、おかげさまで生きるより)をしている。我が国では、魂はお盆毎に家に帰ってきて、子や孫と飲食をともにするという、仏教由来の風習がみられる。 一方、科学的な立場に立つと、魂という者は存在せず。身体が死ねば魂も滅びるということになる(一元論:物理主義者、中江兆民)。本人の死生観を理解し、尊重することは穏やかな終末期をサポートする上で重要である。 
 人は死を避けることはできない。では、どのように生きるべきか、という問いに対して宗教は深く関わりをもってきた。平たく言うと、「人生はそれほどよいものではない。従って、その喪失(死)もそれほど悪いものではない」という東洋的(仏教的)な見方と「人生は良いもの。従って、その死は悪いものであり、有意義な人生を送るように努力する」という西洋的(キリスト教的)な見方に分けられる。 死後の世界を体験した人はいないので、これらの問題に対する正解は存在しないが、話し合ってみる価値のある問いである。施設では「死とはなにか」「仏教的な死生観」などについて学ぶ機会を設けたいと考えている。
 認知症、インスリンを投与されている糖尿病、脳梗塞や骨折によりADLが低下している方、嚥下困難、そして老衰の方も入所されている。人生の終末期を施設で穏やかに過ごしてほしいと希望される方もあり、年間10例ほどの看取りを実施している。施設理念である「自分や家族が受けたいケアサービスを提供します」の具現化に果たすACPの役割は大きいと認識している。
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